貧乏礼賛

今、城山三郎の「落日燃ゆ』を読んでいるが、何しろ重い。昭和史の情報量も半端ない。A級戦犯で処刑された広田弘毅の生涯を描いているのだが、第二次世界大戦に向かっている部分に入り、尚一層重たくなり、今日は台風も来てることだし、と、ちょっと休憩。
それで、近くの 大学の図書館で借りている違う一冊「貧乏神髄」をパラパラと。
わたしは、両親の影響(特に母親)か、貧乏が好きと言うか、貧しさ慣れしてると云うのか、良く言えばシンプル、悪く言えばケチ。

わたしは、最底辺の暮らしなのかもしれないけど、ちっともそれを感じてなくて、良い服も着なくても良いし、別段美味しい物も食べなくて良い。

猫がいるのが、不自由だけど、その分ココロは癒やされてるし、ココロの赴くまま暮らせてると思う。

こう言ったシンプルに、混み入らない生き方がしたかったのかもしれない。
というのも、実は真逆なところがわたしの性格のどこかにあるということ。
どこか調子が良くて、卑屈なトコがある。
わたしが、仕事が長く続かないのは、飽きるのもあるけど、人間関係がメンド臭かったりするのだな。
興味の振り幅が大きくて、好きなトコにはすぐ行くけど、飽きるのも、諦めるのも早い。
メンド臭いのが嫌なのかな?人間関係も上澄みだけをすくって、わたしの優しさも表面的かもしれない。

という訳なのか、わたしは資本主義も商業主義も無縁に生きていくのが、償いなのかも。
なんてー
わたしは、わたしなりに、文化的な生活を送っているし、ホントに始末しながら質素に生きるのが好きなの。

No stress No money