コロナになって、考えたこと

コロナ3日目。
咳が残っているだけで、後は普通に戻った。
晩ご飯も、唐揚げとサンドイッチを作って食べた。
つくづくわたしは丈夫なんだなと思う。

ところで、わたしはコロナになった時に考えたのは、もう欲望を捨てた方が良いなということ。
いや、もちろん今までだって十分に質素だったが。

わたしは今日、以前から埃も寄ってくるし、何かと脱げるダイニングの椅子の脚ソックスを2脚分外した。
すっきりした!なぜいつまでも外さなかったのか?
確かにDAISOで買ったばかりの、2脚分220円の椅子の脚ソックス。
そのつましい見栄と勿体無い根性、それより外したことによるサッパリとした感覚。それを知れただけでも220円なんて全く安いもんだ!
人生なんて、そういう事の積み重ねなんだと思う。
自分で納得いかない事を続けるより、すっぱりと辞めてしまった方が良いことも多いと思う。

わたしは自分で、メンタルが弱いと思っていたのだが、気が小さいというより気が回りすぎる。
空気を読みすぎるのだなと思う。
考えすぎてしまう。

わたしは生活保護を受給しているわけだが、これに対して酷く罪悪感のような気持ちがあるのは否めない。
しかし、いったいそれは誰に対して?
誰からも咎められない。
初めて行く病院では、不愉快な思いをしないだろうかと気持ちは塞ぐが、概ねそんなこともないし、後は誰にも言わなければ分からない。
もちろん誰にも言わない。
もし、わたしの目の前で生活保護の話題が出ても、わたしはスルーする。
しかし、その時に感ずる心の錘のようなものがある。

これは、やはりどこか気持ちを鈍くしないといけないのだろうか。
どうやったら、気にならなくなるのだろうか。
もちろん、いつまでも引きずるものではないのだけど。

やはり、生活保護スティグマがあるのだろう。
しかし、わたしはもはや生活保護を抜けては生活しようとは思わないのだ。

この27㎡の古くて小さなマンションに、ずっと住みたいと思ってる。
贅沢も好まない。
質素に清潔に丁寧に暮らしていきたいと思っているだけだ。

それでもダメですか?